積立タイムリー

好きな言葉「三食おやつ昼寝つき」

辛夷第二幕感想②好きかもしれない

辛夷第二幕感想シリーズ第2弾は井上玲音ちゃんメインの「好きかもしれない」です。児玉雨子さんの恋愛ソングは外れがないと思ってるのですがこの曲もほんとによい……。

 

こぶしメンが「みんなこういうの好きでしょ~」と言ってたけどそうだよ大好きだよの気持ちです。

曲全体について

こぶしのラブソングといえば同アルバムに収録されている「消せやしないキモチ」ですが、それより数段大人っぽい歌詞で、こぶしちゃんの新しい魅力をたくさん見せてくれています。好きや…………。

 

曲構成はアイドルソングの王道をいっている感じに思います。ダンサブルなイントロ、サビへの追い込み、見せ場の落ちサビ、そしてテンションが最高潮に達する大サビ!ライブで聴いたら盛り上がること間違いなしです。

 

インストだけ注意して聴いてみるとピコピコ音が気持ちよい場所に入っていますね。リズム隊がまた楽しそう。

 

曲全体に緩急があってドラマチックな印象になっていますが、それをさらに盛り上げるこぶしちゃんの歌唱がほんとうに激アツで……。歌唱表現については後ほど書こうかなと思います。

 

歌詞について

冒頭でも触れましたが児玉雨子さんの作詞です。概要としては恋愛を一通り経験してきた女性が好きかどうか自分でもわからない人と別れて帰路につくかどうかの一瞬を描いた曲です。一言で表すなら「終電どうする?」ですね。

 

なんだか今日で関係が変わりそうな気がするのに自分の感情が追い付いていない。あるときから恋愛って急激にスピード感を増しますよね。だから好きかどうかわからないけど関係が進んでしまう事態が発生するわけですけど、いろいろ考えているうちにそもそも「好きってなんだっけ?」状態になってしまったり、あとから考えてみたら意外と好きだったんだなあ私となってしまったりするんですよね。

 

後悔しないためにはそろそろお店を出るころ合いかな、となったときに最善の判断をしないといけない…。優柔不断でいられる暇がないし、駆け引きも必要だし、そもそも自分も相手もはっきりとしたことは言わないからお互いの気持ちに確信は持てないし。年や経験を重ねるごとに素直なことは言えなくなるし……。そんなもどかしさや切なさを「まだ知らないことばかり~」と歌っていたこぶしちゃん達が歌ってるのが胸アツですよね。

 

児玉雨子さんといえば言葉遊びと対比の表現に特徴があるなと思うのですが、今回は対比が2番に使われています。

 

大事にされたい もっと強引でいい

過去訊いてみたい

何ひとつも知りたくない

 

相反する気持ちだけどいやほんまこれやで~~~~と3,000回くらいファボしたい。タイトルは「好きかもしれない」だけど本当はもう好きだし、だからこんな風に思ってヤキモキしてしまうんですよね……はあ、好きや雨子。

 

こんな感じで恋愛下手にグサグサくる部分が多数あって…。

 

・抱きしめてって私からは言わない

・駆け引きなどしてないただ意地っぱりが ざわめきが黙らない

・なんでもないふりがうまくなる前に

・単純なことばかり勇気が要るみたい

 

主人公はどんな相手にこういう感情を抱いているんだろうといろいろ思いをめぐらせてみたんですけど、

  • 仲良しグループの中で急に仲良くなった人
  • 同じ職場の別部署の人
  • 同窓会で久しぶりに会ってから飲みにいくようになった人

とかどうかなあと思います(?)少なくともついさっき知り合った人ではないと思うんですよね。

 

そんで、意地っ張りになってしまうということは元々出会いを求めて出会った人ではないはずなんですよ。

 

そうなるとコミュニティがかぶっていて、もし相手にそういう気がなくただ自分が勘違いしちゃっていたとしたら地味に気まずくなってしまいそうな…。それこそなんでもないふりをしないといけないような関係な気がする。ここで普通に帰っちゃった後二度と会わないような関係ではないと思うんですよね。

 

こういうのって現実でもめちゃくちゃありそうで、すんごく生々しくて、でも雨子さんの絶妙な匙加減で下品にならずアイドルソングになってる。あ~~~天才だよ~~~~~~。

 

歌唱表現その他のこと

この曲はやっぱりれいちゃん!れいちゃんといえば華奢な体と可憐なお顔立ちからは想像できないほど迫力のある歌声が出てくるギャップが魅力ですよね。ですがこの曲ではこれまでのイメージとは打って変わって繊細な表現が光りまくっている……。井上玲音の第二幕を感じさせます。

 

思い返せばハルウララでもその兆しがあったんですけど、ここにきて一皮むけた感じがします。

 

冒頭の「ほんのちょっとだけ…」の切なさ、思わずぎゅっと抱きしめたくなる…。

そして何よりも落ちサビですよね!!

 

…単純なことばかり勇気が要るみたい

 

までの繊細な表現から、

身体 心 言葉 今すべて

 

の心の叫びへの変化、テンションの上げ方が素晴らしい!

 

他のメンバーももちろん良くて、前回みたいに箇条書きにすると

・もう子どもじゃない和田桜子の「じゃ」

・愛か錯覚かあなたに決めてほしい野村みな美の「か」の音処理

・性格的に素直じゃない広瀬彩海の「抱きしめてって私からは言わない」の最後の音の抜きかた

・元カノのことをずばっと聞いてきそうな浜浦彩乃の「何一つも知りたくない」

(その前の「過去訊いてみたい 」も良い。浜ちゃんが楽に歌ったときの声が好きなんだ私は)

・なんでもないふりが一番うまそうな広瀬の「なんでもないふりがうまくなる前に」

・セクシー和田の「恋の行方」のしゃくり「私だってわからな~い」のしゃくりと吐息

・大サビ和田の「なんでもないふりが うまくなる前に」の「う」

こういう曲、和田桜子さんがとっても得意ですよね。元々アルバムで輝く女だと思ってたんですけど、ここにきてさらに才能開花してる気がする。

 

こぶしちゃんの新たな一面を見れるセクシー楽曲、増えてほしいなあ~~~。でも失恋の歌だけじゃなく、恋して楽し~~~!ハッピ~~~~~!!みたいな曲も聴きたいな~~~。

 

youtu.be

辛夷第二幕感想①Come with me

今更ですがようやくまとまった時間をとれたのでこぶしファクトリー2ndアルバム『辛夷第二幕』のレビュー、とまでいかなくても感想をつらつら書こうと思います。

全曲はたぶん無理なのでアルバムでの新曲(除・ライブ新曲)だけ!今回はメンバーそれぞれをフィーチャーしているということで、メンバーの良さや逆に新しい面を見せてくれる曲が揃っているな~と思いました。

まずはあやぱんこと広瀬彩海(ひろせ・あやか)さんメインの「Come with me」の感想から。

 

 

曲全体について

初めて聴いたときはとにかく「おしゃれ!!!!!」の一言に尽きた……。今までこぶしにこんな洒落てる曲あったかい。Juice=Juiceかと思ったわ。焦った~~~~。

もう一回聴いて、なんて難しい曲なんだと思いました。リズムがえぐい。この前カラオケで入れてみたら全然歌えなかった。リズムをかなり細かくとっていないと遅れちゃう。これ音ゲーであったら譜面がとんでもないことになりそうで楽しいでしょうね。

 

歌詞について

そんで歌詞なんですけど、アイドルグループこぶしファクトリーとも、普通の女の子の感情ともとれるような内容が良いですね。1番とか特に一般女性でも感じる感情が書いてあって、こぶしファクトリーのみなさんが成長著しい年頃の女性であることを改めて思い知らされますよね。

女の子が最高に面白くなるのはこっからじゃん?

つまり

私たち(こぶしファクトリー)が最高に面白くなるのはこっからじゃん?

なんですよね!

そこからよくよく見ていくと

圧倒的に凛と咲き誇ろう

躓いて悔しくてチョット!泣いて

対照的な根を伸ばしていこう

などこぶしファクトリーの過去の楽曲を思わせるようなフレーズが入っていたりなんかする。楽しい~~~~~!

特に「チョット!」のあたりとか疾走感が気持ちいいです。

2番は1番と変わりこぶしファクトリーというグループを想起させる内容が盛り込まれています。

躓いて悔しくてチョット!泣いて

そしたら腹減って大好物食べて満足

↑ラーメンかな

日々鍛錬 心強くなってく 目を逸らさないで

 アカペラもそうですけど、どんどんあがる歌唱力、パフォーマンス力は日々の鍛錬の結果なんだなあと思わされるところ。

先ほども登場した

対照的な根を伸ばしていこう

は(つばきファクトリーとは)対照的な…かなとも思います。

 

また、同時に作詞作曲を担当されている中村瑛彦さんからの応援メッセージであるとともにこぶしファクトリーの決意表明である部分もあって、彼女たちにそうあって欲しいな、とファンは涙がちょちょぎれます。

どんな日が来ても 倒れないで

全力前進でずっと駆け抜けるためにさ

自分愛せ

どんなにつらいことがあっても、立ち止まらず全力で走り抜ける姿はこぶしファクトリーのありかたそのものですし、彼女たちだけにはそうあって欲しい。

同時に自分に厳しい子たちばかりですので、時には自分の努力や良いところを認める日もつくって欲しいなとも思います。だってこぶしファクトリーのキャリアはまだまだこれからですからね!!!!!

その日は来るよ 天晴れだぜ

全身全霊かけて夢中にさせるからさ

ついてこいよー!!!

まずは念願の単独武道館をぜひ叶えてほしいなあ。きっとできるよね。

 

ジャニーズグループなどにも楽曲提供をされており、「言葉の魔術師」とも評される中村瑛彦さんですが、「Come with me」にもその特長が存分に現れているのもぜひ注目したいところ。

個人的に好きなとこを挙げます

自己満足じゃもう不満足

みたいな韻の踏み方

Come with me~

からの

だから with me

 上手いにもほどがあるんだわ。

目を逸らさないで

 

からの

これからが楽しみday(楽しみで)

 これは歌詞カード見るまで普通に「楽しみで」だと思ってた。

他にもいろいろあるはずなので、好きなところをそれぞれ私に教えてください。

 

歌唱表現その他のこと

あやぱんメイン曲ということで、あらゆるところで難易度が高いのがアツいですよね。全員が歌唱メンのこぶしの中でも歌姫だもんね。

レコーディング映像とか見てもわかるんですけど、広瀬さんは本当に歌唱表現の引き出しが多く、それが彼女の歌の魅力をさらに広げていますよね……。超絶suki…………。

冒頭部分何回か録り直したんだろうけど全部売ってほしい。

広瀬=フェイク担当でもありますが、この曲でも大サビ部分で楽しめます。

あと広瀬さんといえば歌唱だけじゃなくメイクを中心に研究を欠かさない努力の人であることは皆さんご存知でしょうが、その彼女が「一瞬で私は変わってくから目を離さないでついてこい」と歌ってるのが強い。強すぎる。ちょっぴり挑戦的な歌詞が多いのも良いですよね。努力の人であると同時にちょっぴり強がりでかまってちゃんなプリンセス広瀬さんの魅力が詰まったような曲だと思います。

そんで、あやぱんの歌割部分が全部サイコーなのはそうなんですけど他のメンバーもバチバチと決めまくっているから目と耳が足りない!嬉しい!やったー!!!!!

例えば

・冒頭野村の「納得しないで」のリズム感

「なぁとくっし、なッいッでッ」スタッカートというかもはやアクセント気味に歌って盛り上げているところが冒頭にぴったりです。

・1番サビ野村「その日は来るよ天晴れだぜ」

彼女特有の開けた明るい音色が「天晴れだぜ」感ありすぎ

・1番終わり野村「ついておいで」のビブラート

シンプルにかっこよすぎる

・2番Aメロ和田「悩んでもしょうがないんで」

ごめんなさいここもしかしたられいれいかもしれないんですけど、緩急のつけ方とかすれさせ方がセクシーすぎてとりあえず桜子さんかと思ったの。ここほんとに好き。ジャジーな曲調に合わせにいってるところとか。

・2番サビ前浜浦「大好物食べて満足」

この歌詞はまちゃんのためにあるようなもんというか、はまちゃん以外に誰が歌うんだよって感じなんですけど、そこでやっぱりはまちゃんが凛々しく歌ってくれるところがなんていうかありがとう、命に感謝。

・2番終わり井上「自分愛せ」

褒められ伸び子のれいちゃんだからこそ歌えるところ。

ここ以外にもたくさんあるんですけど、こうして個々できらめきを見せるこぶしファクトリーさんだからこそユニゾンになったときのパワーが凄いんですよね。

最後の

ついてこいよー!!!

を聴いたらもう一生ついていきます…とひれ伏せざるを得ないめちゃくちゃ好き。

 

こんな感じで一曲ずつTwitterで書ききれないところをずらーっと書こうかな~と思っています。年越さないようにしたい気持ち。年越すかも。うわ~~~~~。

『眼鏡の男の子』に夢羽はどれくらい片思いをしたの

BEYOOOOONDSデビュー曲『眼鏡の男の子』と、その対になる曲として生まれた『文化祭実行委員長の恋』。

 

デビュー前に発表されていたBEYOOOOONDSの曲はこの2つであったわけだが、何回聴いても良い。良すぎる。

 

いわゆる“泣きメロ”の『眼鏡の男の子』に対して、短調、しかしコミカルな『文化祭実行委員長の恋』。対照的なメロディ、歌い手の高い表現力、的確な歌割、印象的な振付…などなど。魅力は多くあるが、今回は『眼鏡の男の子』シリーズの登場人物について考えてみたことを残そうと思う。

 

 

夢羽は高校何年生なのか?

 

『眼鏡の男の子』のメインヒロインは間違いなく“夢羽”だが、果たして彼女の学年は?

『眼鏡の男の子』はラストの「大したことないじゃん!」に向かう物語であるが、“夢羽”の学年(つまり片思い期間の長さ)によって楽しみ方が変わるように思う。

主人公“夢羽”の学年を探る前に、その周辺人物のプロフィールを整理しておこう。

 

『文化祭実行委員長の恋』からわかるキャラクタープロフィール

 

眼鏡の男の子

  • 赤羽橋高校3年A組前田こころ
  • 眼鏡着用
  • 電車通学
  • いつも同じ時間の同じ車両に乗車
  • 電車内では教科書を読む
  • 制服は学ラン
  • 制服は気崩さないが、寝癖をつけがち
  • 優しい顔立ち
  • 美人な男の子

曲名にもなっているだけあり、彼だけ飛びぬけて情報量が多い。

「超地味な眼鏡男子」「彼は気づいてないだろうな 自分の美しさに」とあることや制服の着こなし、寝癖といった特徴から、彼がクラスでは目立たないタイプであることが度々描かれている。

電車内での過ごし方は一年生からの習慣なのか、受験生だからなのかはわからない。

いずれにせよ、高校3年の文化祭で突然女装コンテストへの出場を迫られ、グランプリに輝き、最終的に彼女までゲットした彼はまさに「シンデレラボーイ」である。

いわゆる“陰キャ”だった18歳がおそらく初めてできた彼女と電車で手を繋ぐのか?という点は甚だ疑問ではあるが…。

 

文化祭実行委員長

  • 赤羽橋高校3年A組清野
  • 文化祭実行委員長

『文化祭実行委員長』の“清野”は、明確に記されている情報がとても少ない。しかし彼女の人物像は歌詞からなんとなくイメージができるようになっている。

文化祭本番1週間前まであたふたと準備する様子、「仕事モード」といった描写はあまり計画的な方ではなく、しかし仕切りたがりな性格を想像させ、「ねぇちょっと男子!」「ねぇちょっと女子!」という台詞、「クラスの仲間たち」と結果発表を真剣に待っているところ、後の恋人を「超地味」と評するやや上からな態度は、クラスの中心グループにいる様子が伺える。受験生であるのに文化祭実行委員長を務める彼女はイベント好きで明るいキャラクターなのだろう。

そして何よりその押しの強さが印象的である。体育の時間、目に留まった地味グループの男子を「女装コンテストに興味ない?」「あとはウチらに任せなさい」「必ずスターにしてあげる」と誘い、さらに「本番までに眼科行ってコンタクト作ってきて!」である。強引にもほどがある。(最終的に一目惚れした彼をちゃっかり彼氏にまでしている。)

電車での通学中、手を繋ぐのはだいだい彼女からなのでは……。

 

『眼鏡の男の子』ではあまりキャラクタープロフィールが明かされないのに対し、『文化祭実行委員長の恋』では学年どころかクラスまで明記されている。“夢羽”の学年を考察するにあたって必要な情報を持つキャラクターは眼鏡の男の子と、強いて言うなら“清野”程度だが、ついでに他の人物についてもまとめてみた。

 

司会1

  • 赤羽橋高校OG高瀬くるみ
  • 専門学生
  • 女装コンテストの企画者(元文化祭実行委員長?)

『文化祭実行委員長の恋』で最初にインパクトを与えるのは高瀬くるみの台詞回しであろう。高瀬くるみさん、本当に“こういうの”が上手い。

「卒業後も毎年いけシャーシャーと…」という台詞から、専門学校2年ではないかと思われる。

 

司会2

  • 赤羽橋高校1年A組出席番号3番江口紗耶
  • 文化祭実行委員(?)
  • 塾に通う
  • “前田こころ”を「先輩」と呼び、慕っている様子

 『文化祭実行委員長の恋』での名脇役さやりん。初見では誰もがあまりに棒読みと思ったであろう“赤羽橋高校1年A組出席番号3番江口紗耶”であるが、それは「棒読み演技」があまりにも上手すぎるからなのでした…なんてスキルが底なしすぎる。『眼鏡の男の子』では「むむッ、ライバル多しッ」と呟き「超地味」な“前田こころ先輩”に憧れるあたり、ちょっぴりイタい部分もある真面目地味女子(ただしハートが強い)と思われる。

眼鏡をコンタクトにし、“清野”と付き合い始めた“先輩”に対して、“夢羽”と同じくがっかりしたのか否かが気になるところ。

 

さて、"夢羽"は?

 

先述の通り、『文化祭実行委員長の恋』ではストーリーにそれほど重要でないキャラクターにも明確な情報が与えられているのに対し、『眼鏡の男の子』では主人公とそのライバルの名前程度しかプロフィールが明かされない。

しかし主人公“夢羽”がどれほど『眼鏡の男の子』に片思いをしていたのかによって、「大したことないじゃん!」の捉え方は変わる。

後にも記すが、ここ半年程度の片思いであれば「毎朝見かけるからって簡単に想像膨らませちゃって恥ずかしいわ私」の感情が含まれるし、片思い3年目であれば長い時間をかけて積み上げてきた想いの分、どろりどろりとした感情が生まれる。

“夢羽”ちゃん、あなたは何年生なんですか?

 

“夢羽”は作中で『眼鏡の男の子』を「眼鏡君」と呼んでいるあたり、おそらく彼を同い年と思っているのではなかろうか。中高生において、学年の差はたとえ一つでもかなり大きい。まして高校3年となれば、独特の空気感で他校生でも学年を察することができるものである。“夢羽”と“眼鏡君”は同い年と考えるのが妥当ではないだろうか。

 

ここから、“夢羽”の片思いは以下の2パターンが考えられる。

 

  1. 高校3年になってからの片思い
  2. それ以前からの片思い

 

ここで思い出したいのは“恋の応援団長・副団長”の存在である。「青春の無駄遣い」という台詞からは、それだけを見るとそれなりの期間片思いをしていることが伺える。

しかし“夢羽”が高校3年だとすると、「恋を我慢する」のも一般的な選択であるし、それに対して友人が「青春の無駄遣い」と声をかけるのも自然だ。

つまりここまでの情報では“夢羽”の学年は察することが出来ても、どれくらい片思いをしているのかは決められないのである。

 

そして“夢羽”は「彼が眼鏡をかけていること以外なにも知らない」。

1である場合、“眼鏡君”を意識し始めてからまだ数カ月しか経っていないため、それしか情報を持ち得ないという意味になるが、2の場合、同じ車両程度の距離で見つめることしか出来ないため、長い時間をかけてもそれしか知ることができなかったという意味になる。

まあ眼鏡をかけていること以外にも制服を第一ボタンまでしっかり留めて着ていることや寝癖をつけたままにしていること、電車では教科書を読んで過ごしていることなども知っているのだが……。もし2だった場合、長年見つめるだけしかできない存在への憧憬が過剰なまでに膨らむのもよくあるお話。ここまでいろいろ考察してきてアレだけど、ぶっちゃけ2の方が個人的にはおいしいよね~~~。果たしてどっちなのだろうか。

 

“夢羽”の片思いなどつゆ知らず、「眼鏡君」は突然姿を見せなくなる。

おそらく文化祭の準備で1週間弱「同じ車両の同じ時間」に乗らなくなったのであるが、他校の文化祭スケジュールなんて(おそらく)知らない“夢羽”をはじめとする同じ車両の女子たちは「どこかへ引っ越ししたのかな?」なんて思いを馳せる。

「あれからどれくらい経つのでしょう」と言うと数カ月以上は経っているように思えるが、実際のところは1週間程度で、体感で長く感じていたのでは。

もしくは文化祭のあと登校時間を戻しても違う車両に乗っていたためしばらく見つけられなかったか(こっちのような気がする)。もしそうだとしたら「毎朝見ていたキミはいずこ?」と思っている間も「眼鏡君」は別の車両で「カノジョ」と一緒に登校していたことになる。なにそれしんどい……。

「その日遅刻でギリギリ乗った」の歌割は「眼鏡君」であるが、こう考えると"夢羽"が遅刻しそうになってギリギリ飛び乗った車両で「眼鏡君」と「カノジョ」を発見する流れが自然なのでは?とも思うけどどうなのでしょう。

 

「大したことないじゃん!」に込められた感情とは

 

『眼鏡の男の子』で最も盛り上がる部分はやはりラストの「大したことないじゃん!」だが、たった一文、されど一文。複雑な乙女心が読み取れる。

 

まず、そのまま

 

眼鏡をとったら思ったよりかっこよくないじゃん!

 

という勝手な失望・落胆。

 

さらに彼女ができて変わっちゃった彼に対して一気に興味が失せる感覚も“女子あるある”として挙げられる。

また、イソップ物語『すっぱい葡萄』的な、防衛機能及び合理化、負け惜しみっぽい感情も忘れてはならない。

他に、それなりの時間を費やしたにも関わらず妄想ばかり膨らませて結局何も進展せず、しかし案外すっぱり諦められてしまう程度の恋心、そして恋に恋してた"夢"みがちな自分が一番大したことじゃん!もあるのではないかと個人的には思っている。

 

それらがない交ぜになった結果の「大したことないじゃん!」は、片思い期間の長さで重みが変化するのだ。

 

  1. 高校3年になってからの片思い
  2. それ以前からの片思い

 

この2パターンをそれぞれ考えてみて、先ほどは2の方が個人的には好みのストーリーになりそうと書いたが、1もそれはそれでとても良い。1ならば(受験を控えた)高校3年にもなって恋に舞い上がっちゃって恥ずかしいんだけど!の気持ちもプラスされるし……。

18歳って周りである程度の恋愛を経験している子がいる中で、見ているだけで半年ほどまごまごしていたら知らない間に「かわいく微笑む」女の子(自分とは正反対で押しが強い)にたった1週間程度で彼をとられてしまう主人公のピュアな“可哀そう感”も楽しめてしまう。うう、どっちも良い……。

ちなみに後者の感情は2でも同じかと思う人もいるかもしれないけれど全く別物で、16歳からの一途な片思いと18歳からの奥手な片思いでは重みが違うのです。2年以上にも渡る片思いなら時間かけた意地みたいな気持ちも含まれるはずので。

 

結局『眼鏡の男の子』『文化祭実行委員長の恋』の2曲だけでは私には情報不足で“夢羽”ちゃんがどれくらいの期間片思いしていたのか判断しかねるのですが、今回挙げた2つのパターンどちらでもオタクは楽しいし、全然違う新パターンでもそれはそれで面白いと思います。

2019年11月27日に1stアルバムの発売も決まり、ますます勢いを増すBEYOOOOONDS。さすがにもう『眼鏡の男の子』シリーズ新作は出ないんじゃないかと思いますが、新曲に期待です。

 

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「記事を書く人」になって4年が経った

2019年4月16日、途中で形態は変われど、「記事を書く」ことで賃金が発生する仕事を始めて4年が経った。

 

4年と言えば丁度大学の学部生を卒業するような年月であるので、これを一つの節目として現在までに起こった変化をまとめておきたい。

 

 

変わったこと➀形態が変わった

 

まず、この4年で身を置く媒体が変わった。

 

サービス名は明記できないが、大雑把に言うとキュレーションメディアから一次情報メディアにいる場所が変わり、それに伴って肩書もキュレーターからライターへ変わった。

 

キュレーションメディア全盛期にキュレーターとして活動できたことも、キュレーションメディアの権利問題がらみの騒動に直接関わったことも良い経験になっていると感じる。

 

現在は一次情報メディアの「中の人」として活動しているが、キュレーターだったときに「これもやれたらいいのにな」と思っていたことがだいたい実現できた。

 

一次情報メディアは自分の意思を色濃く反映できるのが大きな魅力の一つである。

 

それに対してキュレーションメディアは自分では表現できないものを、それをできる人に助けてもらってイメージに近い世界観をつくることができる。

 

どちらが良い・悪いという話ではなく、自分にとっては一次情報メディアの方がやりたいことに沿っていたと、両方経験して判断した。

 

時代が移り変わればメディアの形態も変化する。今後も新たな形のメディアが生まれていくだろうから、それらもぜひ経験できれば、と思う。



変わったこと②書きたいことが変わった

 

「記事を書く」ことを始めた当初は、自分の好きなものを発信したいという気持ちがモチベーションだった。

 

しかし、一年くらい経ったころからか、書きたいと思う内容が変わってきた。

 

自分が好きなものよりも、自身のサービスにあった方が良いと考えるものや、読者が読みたいものが書きたいという意識になったのだ。

 

正直、自身の好きなものがいつでもマスに刺さるとは今現在思っていない。

 

だから、自分の好きなものの良さを人に提示するよりは、自社のコンテンツが充実すること、多くの読者にとって役に立つ記事を出すことが自分にとっては重要で、それはライターとして必要な感覚だと考えている。

 

もちろん自分の好きなものはずっと好きだし、それが何かと比べて劣っているだとかそんな風には思っていない。

 

でもあくまでも今の私は一つのメディアの「中の人」であるから、「自身の発信すること=弊サービスが発信すること」ということを常に意識していきたいなと思う。

 

こんなにもSNSが発達している時代だ。自分の好きなことの発信は己のアカウントでしていけば十分である。




変わったこと③プライベートの過ごし方が変わった

 

端的に、この4年で情報中毒の生活になった。

 

「記事を書く人」になる前までも相当ネット依存の生活を送ってはいたが、それでもやはり1日のうちで情報収集に使う時間がかなり増えたと感じている。

 

実家に帰った時は大体父親に怒られる。

 

最初の一年は国内のTwitterInstagramアカウントを見る程度だったが、今はあえてテレビを見たり、流行りの場所に行ってみたり、果てにはロシア人のInstagramアカウントを見てみたりと情報収集でなかなか忙しい毎日となっている。

 

ドラマやバラエティ、映画、漫画などなど、どこから次の「カワイイ」が生まれるかわからない。

 

本来よくあるラブストーリーは冷めた目で見てしまうのだが(良くないと思ってはいるが仕方ない)、流行っているとなると見なければならないような気がしていつの間にか毎週テレビに向かっていて、気がついたら涙を流しているのである。

 

そうなると本当の意味での自分の時間とは?と思ってしまうが、情報を集めることや知らないことを知ることは前から好きであるので、逆に言えば仕事中だってプライベートなのかもしれないと最近は割り切っている。

 

唯一心配と言えば心配なのは、いつか誰かと同居した時にこの生活スタイルに理解を示してもらえるのだろうかという点なのだが、一般的にどうなのでしょうね?



変わったこと④伝えたいことが変わった

 

これは②の「書きたいこと」と似て非なるものである。

 

キュレーションメディアの採用面接に向かう時の私は「女性のためになることがしたい」「カワイイに助けられたことへの恩返しをしたい」という気持ちだった。

 

その気持ちは今も変わらず持っているが、今はそれらを含めて「世界を平和にしたい」とか、「もっと世の中を自由に」とか「正の循環を」といった気持ちで文章を書いている。

 

情報収集の精度が上がり、また、幅広い情報に触れるにつれて、世の中のことを考えることが多くなった。

 

そしてそれらは決して自分とは違う世界に住む偉い人たちの問題ではなく、自身が苦しんできたことや向き合ってこなければならなかったことに結果として繋がっているとわかった。

 

自分は、一つの媒体を通して誰かの生活にするりと忍び込むことが出来る。

 

私の言葉選び一つで誰かを楽しませることも、悲しませることも出来る。

 

とても怖い仕事である。

 

だからこそ、多くの人にとって、社会にとって「良いこと」を提示する努力をしていきたい。

 

この先の化粧文化は女性だけのものではない。

 

男性も自由にメイクするのが当たり前になって欲しいし、反対に、「メイクをしない自由」が当たり前に認められる時代になって欲しい。

 

それをつくるのが日々の自分の仕事なのである。

 

何かの良い所を挙げるために、他の何かを下げることはしたくない。(そういった点で今いる会社のスタンスは自分にフィットしていると思う)

 

各々のカワイイがそれぞれサイコー、良いものに対価を払ってみんなハッピー。夢物語みたいだが、不特定多数の人にイメージを伝える者として、これを諦めるわけにはいかないのだ。

 

誰かの地獄をちょっとでも救える何かを日々模索し、誰かの人生のヒントになるものを作ることが出来ればとても良い。



変わったこと⑤自分についての理解が変わった

 

この4年で社会に対する理解も深まったが、それと同じくらい自分自身の理解も深まったように感じる。

 

前述したように、キュレーションメディアで働き始めた時は「女性のためになる何か」くらいにしか、やりたいことがわかっていなかった。

 

そして、自分に何ができるのかは全く理解できていなかった。

 

じゃあ今はどれくらい自分のことをわかっているのかという話だが、やりたいことは④で書いたとおりである。

 

メディアの中の人間として、より多くの人が自由に楽しく生きるための情報伝達をしていきたい。

 

自分はあくまでも情報の仲介者であると、ここ数年ひしひしと感じている。

 

私自身は斬新なアイディアとか革新的なデザイン、新たな技術を生み出すことができない。

 

しかし誰かがこだわってつくったものの情報を噛み砕いて、消費者がわかりやすい形に再構築することはできる。

 

素晴らしいものをつくる人の意図を正確に、そしてつくった人が気がついていない魅力を見つけ、より多くの消費者に伝える。

 

その活動を通して消費の正の循環を回せば、資本主義社会においては世界平和に少しずつ近づいていけると考えている。

 

また、自分はフリーではなく、編集部の中に籍を置く人間でもあり続けたいとわりと最近気がついた。

 

仕事をしていく中で喜びを感じる瞬間は?と聞かれたとき、最も優先して頭に浮かぶのはチームの中でファインプレーを褒められた時である。

 

メーカーさんや読者から直接感謝のお言葉を頂ける場面がこれまでは少なかったというのもあるが、やはり自分は個人ではなくチームでひとつのものをつくっていきたい。

 

だからこれからも場所は変わっても集団の中に身を置くのだろうなと予感している。

 

それから、自分は物事を「分析と総合」することが得意なのだろうとなんとなくわかってきた。

 

新しいものを一から生み出すのは苦手だが、世の中の流れや「一から生み出す」立場の人たちが提示するものを理解し、こういうことだよね!と言語化することはできる。

 

これは元々自分にあった能力かもしれないが、それを得意かもしれないと思えるレベルにまで引き上げてくれたのはこの4年間だったと思う。月並みな表現ではあるが、やはり継続は力なり。

 

これが得意であるからこそ、誰か一人に師事するというよりは、できるだけ多くの人の考えを聞いて必要なこと・大切なことは何であるかを考えていくスタイルの方が自分は成長できそうだとも思っている。

 

昨年末、友人に尊敬する人は?と聞かれて上手く出てこなかったのも、このことが理由ではないかと今なら思える。

 

自身の仕事のレベルを引っ張り上げてくれたのは今の会社の方々であることは間違いない一方で、前の会社で出会った方々は今も尊敬しているし、今の自分の仕事に生きている教えを沢山頂いた。

 

世の中に何かインパクトを与えられる人たちは、根底に同じものを持っているような気がしている。

 

今はまだ上手く言語化できないが、これから多くの人たちに出会って多くの考えに触れ、それが何なのかいつかきっと自分なりの答えを出したい。



終わりに

 

ここまで長々と今までの振り返りをしてきたが、最後に言及しておきたいのは自分は文章を書くことでひとを救いたいと思っている一方で、自身も救いたいと思っている事である。

 

ただの自分語りになってしまうが、幼い頃からとかく考え事をする子供であった。

 

気がつけば頭の中で思考が巡る。テーマはその時によって様々であるが、ポッと頭に出てきたことがどんどん発展していき、それは可視化しないと消化できないものであった。

 

そんな私を救ってくれたのは考えを言葉にすることが許されている環境だった。

 

言葉を扱うことを仕事にすれば、常に頭を埋め尽くす言葉をどんどん消化することが出来る。

 

少なくとも、就業時間内は仕事のことだけが頭に巡り、逐一言語化できる。

 

考えを文章として成り立たせることが得意になってきたので、通勤中などに考えごとで頭が破裂しそうになったとき、今じゃスマホにざっとメモして消化することが出来る。

 

自分がなぜこんなに苦しいのか、ずっとずっと考えてきた。

 

その答えは日本のカワイイ文化の下、カワイイを文章で提示し続ける中で見つかるという確信がある。

 

己を地獄から救うのは、自身の妥協しない思考と鍛えぬいた言語能力であるのだ。

浮き足立てる三月

最近会った人には話したけど、三月が好きだ。

正確には卒業式や修了式が終わってから入学式、始業式が来るまでの期間。

 

三寒四温の季節、暖かい日が増えてきて外にも出やすくなり(花粉は辛いが)、スキップしたくなるような。

かと思いきや突然真冬のように寒い日が来て現実に引き戻される。

 

高校生でも大学生でもない、学生でも社会人でもない、一年生でも二年生でもないあの感じ。

所在不明な存在が街に溢れていて、大いなる期待と不安で満ちている空気。

 

自分はこれまで通り同じ電車に乗って同じ会社に向かうのだが、"何者でもないひとたち"を見るとまるで自分もその仲間であるかのように錯覚してしまうのである。

 

何者でもないというのは同時に何者にもなれるということで、ふわふわした雰囲気の中に確かな希望を感じる。

 

浮き足立った空気に思わず自分もなんでもできそうな気さえしてくる。

 

今日は海に行ってみようとか、気になってたけど勇気が出なくて行けなかった店に入ってみようとか、大きなことから些細なことまで。

実際に実行できたのは後者だけだが。

 

今夜ベッドに入って目が覚めたら、いつも通りの一日が始まる。

いつも通りベッドから出て歯を磨き、着替えてメイクして髪を整え、いつも通りの時間に電車に乗る。いつも通りを積み重ねる平日。

浮き足立てる三月はあと数十分で終わるのだ。

 

アッチャアッチャって結局何?

2019年4月10日に発売されるアンジュルム最新シングル『恋はアッチャアッチャ』を聞いた。

 

その中に「恋がわたしのすべてじゃないけど」という歌詞がある。

 

私がずっとモヤモヤしていたことが言語化されているような気がして、この歌詞を発端に思ったこと/考えたことをメモとして残したい。




自分は常々、周りの人に対して平等に親切でありたいと思っている。

友達も後輩も先輩も恋人も、自分が役に立てそうであれば手を差し伸べたいし、逆にこの人にとって今自分は必要でないと思えば距離を置きたい。

こういうこと言うと冷たいとかドライだとか言われがちだが、友達・恋人であるから連絡を頻繁にとらなくちゃいけないとか、なんでも教えなくちゃいけないとか、優先して予定を空けなくちゃいけないとかは無いと思う。

必要なことは聞けばいいし、必要でないことは聞かない、自分からも言おうと思わない。

予定も早い者勝ちで入れるし、言われない限り予定を空けておくこともあまりない。

 

人間関係で何かあった時いつも思うのは、自分をつくるものはあくまでも日々の仕事や今まで続けてきた趣味であって、人間関係によってつくられるものは+αにすぎないということである。

自分と一番長い関係を築いているのは自分であって、自分を形作るものは日々の思考や自ら望んで触れてきた思想、芸術、価値観だ。

例え長年付き合った恋人や友人と別れても自分の人生は続いていくし、誤解を恐れずに言えば親が亡くなっても自分の人生は続く。

事実、大学四年間付き合った彼氏よりも、大学三年の時にハマった松浦弥太郎の本の方が今の自分に影響を与えていると思う。

そう、まさに「恋がわたしのすべてじゃない」し、つんく♂風にいえば「彼氏って言えど他人 仲間って言えどライバル 家族って言えど家族で 私ってやっぱ私」である。

 

私には友人や恋人以外にも大事にしたい趣味があるし、仕事も勉強も日々をつくる大きな要素だと思っている。

仕事をして、勉強をして、それに加えて映画もアニメも観たい。本も漫画も読みたい。音楽も聴きたい。展覧会にも行きたいし、喫茶店でゆっくりもしたい。ネットで情報も集めたい……。人生は大切なことをやりきるにはあまりにも短い。

 

だからこそ自分は周りの人の時間を奪うことに罪悪感に近い感情がある。

ただただ無為に連絡をとる時間で記事が一本書けるかもしれないし、勉強ができるかもしれない。体調を整えるために睡眠をとる時間にあてても良い。

私以外の人もまた、私との関係がその人の全てではないのだ。

 

ゆえに、友達や恋人と共に過ごすならその時間は大切にすべきであるし、自分のために時間を割いてくれることに感謝しなければと思う。

そしてまた自分がその人たちのためにできること、その人たちにとって最善の環境となるような選択をしていきたい。

必要であれば駆け付け、役に立ちそうな情報は提供し、その人の人生のステップにおいて自分が必要でなさそうな時は距離をおき、また一緒になにか楽しめそうであれば共にありたい。つまり、自分は自分と関係する人それぞれとパートナーとして関わっていきたいのだ。

 

どのような名がつけられた関係であっても、お互いが自立したひとつの存在としてコミュニケーションをとることが健やかな人間関係だと思う。

一緒にいれば即ち幸せ、一緒にいなければ不幸せな関係は私の中ではなんか違う。

ひとりでいても、一緒にいても楽しい関係をどの人とも築きたい。

 

幸せとは何なのかをよく考える。

自分は幸せとは思考の結果手に入れるもので、他人から与えられるものではないと捉えている。

これをすれば自分は幸せになれる、こう過ごせば自分は幸せでいられる。そういったものであって、結婚すれば幸せだとか、好きな人にサプライズをしてもらったら幸せだとかそういうふわっとした価値観は正直よくわからない不安定なものだと思う。

自分の幸せは自分でつかむ、というか自分で感じていくものであって、それは他者に依拠しない。

 

そんな思いとは逆に、共依存関係に陥りやすい人生を送ってきた自覚もある。

その人の何かを好きになって付き合っても、次第にその人の面倒をみるようになって、恋愛感情を抱けなくなってもその人を見捨てられないという理由でずるずると関係を続けてしまうことが多かった。

元々自分を女性として見て欲しくない、性別関係なしに一人の人間として扱って欲しいという欲求に応えてくれる相手が少ないため、それを満たしてくれる人を失いたくないがためにそうしてしまうのかもしれない。

 

ものすごくわがままなことを言っていることは承知の上であるが、自分を一個体として捉え、外見やバックボーンではなく思考の在り方や感じ取って表現したこと、生活のテンポなどの内面を評価して、互いの良きパートナーとなれる人が現れたら今まで抱えてきたことの荷が下りるのかもしれないと思ったり、

周囲の発言で自分の考えが揺らいだ時にそれはその人の価値観であって君のものではないだろうと当たり前のように言ってくれる人がいたら、他者から与えられる幸せを感じることが出来るのかもしれないと心のどこかで期待したりしている自分がいる。

 

このような思いから友人も恋人も自分にとっては等しくパートナーであってほしいが、あくまでそれは自分の価値観での捉え方である。

世の中自分とは違う考えで人間関係を捉えている人の方が圧倒的に多いのだから、これからも今まで同様に悲しく思うことも傷つくこともあると思うが、そんな時は『恋はアッチャアッチャ』の船木結パートを聴き、巧みな節回しに都度感嘆するのだろう。

 

アンジュルム26枚目のシングル、『恋はアッチャアッチャ/夢見た 15年』は4月10日発売です。

アンジュルム『恋はアッチャアッチャ』(ANGERME [Love is Accha Accha])(Promotion Edit) - YouTube

 

www.helloproject.com

CHICCAブランドクリエイター 吉川康雄氏の契約満了について思うこと

 

2019年3月1日、メイクアップアーティスト吉川康雄氏がCHICCAブランドクリエイターから退任することが発表された。

 

カネボウ化粧品プレステージブランドであるCHICCAは2008年のブランド創設以来、吉川康雄氏による革新的なプロダクトを提案。

美容意識の高い女性を中心に愛され、2018年にはブランド誕生10周年を迎えた。

 

10周年を祝った次はどんなものを見せてくれるだろう。

ブランドの人気アイテムの一つである「メスメリック リップグロス」のリニューアル品としてこの春登場した「メスメリック グラスリップオイル」を手に取り、今後のCHICCAに期待を膨らませたファンも多い中、吉川康雄氏とCHICCAの契約満了が突然発表されたのである。

「CHICCAブランドクリエイター 吉川康雄 契約満了のお知らせ」

日頃よりCHICCAをご愛顧いただき
誠にありがとうございます。


CHICCAブランドクリエイター吉川康雄は、 2019年3月31日をもちまして契約を満了致します。

これからもCHICCAは、
「艶めく、ときめく。“インビジブルメイク”で、あなたらしい美しさを。」をブランドコンセプトに、
仕上りは素顔のように自然で、 “あなた”がきれいになるためのメイクアップを
大人の女性へ向けてご提案してまいります。


今後ともCHICCAをどうぞよろしくお願い致します。

 

現時点でわかること

CHICCAブランドサイトと吉川氏のSNSからわかることは以下の三点である。

・吉川氏とCHICCAの契約満了は2019年3月31日

・2019年クリスマスコレクションは吉川氏のプロダクト

・吉川氏退任後もブランド自体は継続

 

注目したいのは三つ目。

吉川氏ありきでプロダクト制作を行ってきたCHICCAだが、吉川氏退任後もブランド自体は残ると現時点で発表していること。

しかし花王が2018年5月に発表した“新グローバルポートフォリオ”(https://www.kao.com/jp/corporate/news/2018/20180518-001/)にはCHICCAの名前が掲載されておらず、今後育てていくブランドの数にも入っていない。

現時点ではCHICCAは今後も継続と発表してはいるが、ブランド終了、少なくとも縮小は避けられないことが容易に推測される。

 

CHICCAと吉川康雄氏はメイク難民の救い

ここまでCHICCAに起こったことと今後についてまとめた。

ここからはCHICCAと吉川氏について個人的に思うことを述べていきたい。

 

吉川康雄というメイクアップアーティストは私が美容ライターを初め、仕事としていった経緯を語る上でなくてはならない存在である。

 

吉川康雄氏の存在を知るまで、私にとってメイクアップとは「コンプレックスを隠すもの」「可愛くない自分を可愛い誰かに見せるもの」だった。

 

しかし吉川康雄氏の初の著作『生まれつき美人に見せる』(2015年、ダイヤモンド社)を初めて読んだ時、自分の中でのメイクアップに対する考えががらりと変わった。

吉川康雄氏は著書の中で「生まれつき美人に見せるのがメイクアップの役割」「生まれ持った個性を生かす」ことを繰り返し説いている。

www.amazon.co.jp

 

今でこそ「個性を活かす」こと自体がトレンドであるが、発売当時の世の中はおフェロメイク一辺倒。みんなが森絵梨佳になりたかった時代である。

 

そんな中で生まれ持ったものを活かそうと声を大にして言い始めたこと自体が凄い。

吉川氏の考えやプロダクトに触れて救われた気持ちになった女性は多いだろう。

流行りのメイクや基本とされるメイクが似合わない。

きれいになるためにメイクをしているはずなのに、雑誌に載っている通りにメイクしているはずなのに上手くいかない。自分は救いようのないブスなんだ……。

そんな自分がメイクを自由に楽しめるようになり、さらに美容ライターにまでなるようになったのは吉川氏とCHICCAのおかげだと思う。

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2014年頃まではアイラインやアイシャドウのグラデーションがアイメイクのスタンダード。赤リップも流行っていた時代であった。

私ははっきりとしたアイラインも、アイシャドウの締め色も、鮮やかな赤リップもあまり似合わない。

今でこそパーソナルカラーの影響であると理解しているが、似合わない原因が分からなかった時はものすごく重大な悩みであった。

そんな中で出会った吉川氏のメイクアップ。

「薄く発色させていけば似合わない色はない」「アイラインは引くのではなく埋める」……などなど。

吉川氏の提案するメイク法の衝撃は今でも忘れられない。

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自分がCHICCAのアイテムを実際に買うようになったのはもう少し後のことだが、初めてCHICCAのコスメを使った時も吉川氏の著書を読んだ時と同じくらいの衝撃を受けた。

なんといってもメイクが楽なのである。

CHICCAのブランドコンセプトは「インビジブルメイク=見えないメイク」。

使う人そのものを美しく見せることを第一に考えられ生まれたCHICCAのコスメは、使う人に難しいテクニックを強要しない。

誰がどれを手に取っても、その人自身を美しく見せてくれる。

「メイクがきれい」ではなく「なんか可愛い」を作り出してくれるCHICCAというブランドはまさに唯一無二の存在である。

吉川氏の凄さは第一にここにあると私は思っている。

もし自分がメイクアップアーティストなら「自分はこんなにきれいな色使いができるんです」「こんなに斬新なメイクができるんです」と言いたげなメイクをモデルに施してしまうと思う。

しかし吉川氏はあくまでもメイクではなく、モデル自身を主役にする。

ここが他のメイクアップアーティストとは違う、彼の個性であるように思われる。

 

 吉川康雄氏が日本の化粧品業界に与えたもの

吉川氏は常に時代の先を行くアーティストである。

艶肌がマストなように思われる日本人のメイク。しかしどこを見ても艶!艶!と言い始めるようになったのは2015年頃からである。

その前まではパウダリーでマットなベースメイクが長らく日本人のメイクアップにおけるスタンダードであった。

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この中で艶肌を提案し始めたのが吉川氏。

ニューヨークで活動していた時期も彼のつくるベースメイクの美しさには定評があったとのこと。当時はニューヨークでもパウダリーなベースが基本であった中、生き物としての美しさは艶に宿ると考えた吉川氏は流行りにとらわれることなく、自身が考える美しさを実現するために思考錯誤を重ね、艶肌を作る方法を独自で生み出した。

それを日本に持ち帰って、自身がクリエイターを務めるブランドCHICCAで艶肌をつくるベースアイテムを開発したのである。

 

まぶたに艶を…というのも今では当たり前だが、これの先駆けとなったのも吉川氏のメイクアップであるように思われる。

直接的にはコスメデコルテの大ヒット商品「アイグロウ ジェム」が濡れ艶まぶたを流行らせたとは思うが、なんていったって吉川氏はその前から「まぶたはセクシー担当。艶を出すべき」と声を大にして主張しているのだから。

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そもそも「その人の魅力を引き出すのがメイクアップの役割」という考えも時代の最先端を行くものである。

人それぞれの個性を活かしているのがイケてるという流れになってきた近年、CHICCAが若い層にも多く支持されるようになってきたのはブランドのフィロソフィーに時代が追い付いてきたということであろう。

 

吉川康雄氏退任から考えられること・思うこと

他にも彼の功績は様々あるが、そんな日本を代表するメイクアップアーティストの活躍の場が一つ無くなってしまうのは非常に残念なことである。

多様性が叫ばれる今こそ、吉川氏のつくるCHICCAを必要としている人は多いはず。

確かにCHICCAは価格帯がやや高めであるし、店舗数も少ない。マスに受けているブランドとも言えない。

しかしニッチながらも業界の最先端を行くセンスを持ったブランドが終わりを迎えるというのは今後の日本のコスメ業界の先行きが不安になってしまう。

なによりもしんどいのは化粧品業界大手がハイセンスなクリエイターが活躍する場を一つ無くす判断を下した事実である。

日本の人口が減ってモノが売れない現状もわかる。海外に進出しなければ今後企業として生き残っていけないというのもわかる。

しかしだからといって日本を代表するアーティストのブランドを切り捨てるかね…と悲しくなってしまった。

百貨店のカウンセリングコスメは言ってしまえばエンターテイメントである。

ドラッグストアでも十分に質の良い化粧品を手に入れることが出来る今、わざわざ高いお金を出してカウンターに行って…という一見無駄な行為をする理由はブランドの付加価値やカンターでのサービスに意味を見出しているからである。

私たちは夢を買いに今日も伊勢丹一階の人混みに向かうのだ。

そんな夢を与えてくれる存在が現実的な理由から失われる……。

商売である以上仕方がないことかもしれないが、本当に悲しい。会社のトイレでちょっと泣いた。

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もちろん、RMKのようにブランドクリエイターが退任してもブランド自体は継続するケースもある。

しかしRMKのファンデーションのように爆売れ商品が正直言って無いCHICCAがそれに当てはまるとは悲しいけれど考えられない。

しかもCHICCAは良い意味でも悪い意味でも吉川氏のイメージが強すぎる。

毎シーズン、発表会では自らが登壇し、コレクションの解説をする姿は美容業界の人間だけではなく、ブランドのファンにもお馴染みであろう。

“吉川節”とも言われるその独特な語りを今後聞けなくなるかと思うととても寂しい。

化粧品ブランドの固定ファンを掴む方法の一つとして、やはりディレクター・クリエイターを立てることは非常に効果的である。

CHICCAも吉川氏のメイク哲学に共感して……というファンが多い。

そのブランドが今後新しいクリエイターを迎えても、違和感を持つファンは多いだろう。

言うなれば、クリエイターはブランドにとっての原作者。

冨樫義博がもうHUNTER×HUNTERを描けないので違う人が描きますと言ったらやっぱりそれは違うだろうとみんなが思うだろう。

冨樫義博の描くHUNTER×HUNTERが読みたいように、私たちは吉川康雄のつくるCHICCAを使いたいのだ。いや、HUNTER×HUNTERのことは詳しくないんですけど……。

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吉川氏はブログやSNSを通じてコレクションの解説までしてくれていた。それがきっかけで私は海外のメイクアップアーティストのブログも読むようになったし、吉川氏きっかけに知った芸術家だっている。

吉川氏だってCHICCAというコスメブランドの魅力をつくる要素なのである。

 

吉川氏が自身のメイク哲学を実現するためにつくったものがCHICCAのプロダクトである。

もし彼が新しくブランドをつくることになっても、同じ処方は当然使うことが出来ない。

彼が心血注いでこれが最高と思って出したものを今後彼が紹介することは出来ない。

今後、吉川さんが「メスメリック リップスティック」の新しい色を思いついても、私たちがそれを使うことは叶わない。

その事実が本当に悲しい。



いま私たちにできることは、吉川氏がつくったものを存分に楽しむこと。そして私は美容ライターとしてその魅力を出来る限り多くの人に知ってもらえるような文章を書くこと。それくらいしか思いつかない。

 

今後吉川康雄氏に良い活躍の場ができることを願うばかりである。



www.chicca.jp