2019年4月16日、途中で形態は変われど、「記事を書く」ことで賃金が発生する仕事を始めて4年が経った。
4年と言えば丁度大学の学部生を卒業するような年月であるので、これを一つの節目として現在までに起こった変化をまとめておきたい。
- 変わったこと➀形態が変わった
- 変わったこと②書きたいことが変わった
- 変わったこと③プライベートの過ごし方が変わった
- 変わったこと④伝えたいことが変わった
- 変わったこと⑤自分についての理解が変わった
- 終わりに
変わったこと➀形態が変わった
まず、この4年で身を置く媒体が変わった。
サービス名は明記できないが、大雑把に言うとキュレーションメディアから一次情報メディアにいる場所が変わり、それに伴って肩書もキュレーターからライターへ変わった。
キュレーションメディア全盛期にキュレーターとして活動できたことも、キュレーションメディアの権利問題がらみの騒動に直接関わったことも良い経験になっていると感じる。
現在は一次情報メディアの「中の人」として活動しているが、キュレーターだったときに「これもやれたらいいのにな」と思っていたことがだいたい実現できた。
一次情報メディアは自分の意思を色濃く反映できるのが大きな魅力の一つである。
それに対してキュレーションメディアは自分では表現できないものを、それをできる人に助けてもらってイメージに近い世界観をつくることができる。
どちらが良い・悪いという話ではなく、自分にとっては一次情報メディアの方がやりたいことに沿っていたと、両方経験して判断した。
時代が移り変わればメディアの形態も変化する。今後も新たな形のメディアが生まれていくだろうから、それらもぜひ経験できれば、と思う。
変わったこと②書きたいことが変わった
「記事を書く」ことを始めた当初は、自分の好きなものを発信したいという気持ちがモチベーションだった。
しかし、一年くらい経ったころからか、書きたいと思う内容が変わってきた。
自分が好きなものよりも、自身のサービスにあった方が良いと考えるものや、読者が読みたいものが書きたいという意識になったのだ。
正直、自身の好きなものがいつでもマスに刺さるとは今現在思っていない。
だから、自分の好きなものの良さを人に提示するよりは、自社のコンテンツが充実すること、多くの読者にとって役に立つ記事を出すことが自分にとっては重要で、それはライターとして必要な感覚だと考えている。
もちろん自分の好きなものはずっと好きだし、それが何かと比べて劣っているだとかそんな風には思っていない。
でもあくまでも今の私は一つのメディアの「中の人」であるから、「自身の発信すること=弊サービスが発信すること」ということを常に意識していきたいなと思う。
こんなにもSNSが発達している時代だ。自分の好きなことの発信は己のアカウントでしていけば十分である。
変わったこと③プライベートの過ごし方が変わった
端的に、この4年で情報中毒の生活になった。
「記事を書く人」になる前までも相当ネット依存の生活を送ってはいたが、それでもやはり1日のうちで情報収集に使う時間がかなり増えたと感じている。
実家に帰った時は大体父親に怒られる。
最初の一年は国内のTwitterやInstagramアカウントを見る程度だったが、今はあえてテレビを見たり、流行りの場所に行ってみたり、果てにはロシア人のInstagramアカウントを見てみたりと情報収集でなかなか忙しい毎日となっている。
ドラマやバラエティ、映画、漫画などなど、どこから次の「カワイイ」が生まれるかわからない。
本来よくあるラブストーリーは冷めた目で見てしまうのだが(良くないと思ってはいるが仕方ない)、流行っているとなると見なければならないような気がしていつの間にか毎週テレビに向かっていて、気がついたら涙を流しているのである。
そうなると本当の意味での自分の時間とは?と思ってしまうが、情報を集めることや知らないことを知ることは前から好きであるので、逆に言えば仕事中だってプライベートなのかもしれないと最近は割り切っている。
唯一心配と言えば心配なのは、いつか誰かと同居した時にこの生活スタイルに理解を示してもらえるのだろうかという点なのだが、一般的にどうなのでしょうね?
変わったこと④伝えたいことが変わった
これは②の「書きたいこと」と似て非なるものである。
キュレーションメディアの採用面接に向かう時の私は「女性のためになることがしたい」「カワイイに助けられたことへの恩返しをしたい」という気持ちだった。
その気持ちは今も変わらず持っているが、今はそれらを含めて「世界を平和にしたい」とか、「もっと世の中を自由に」とか「正の循環を」といった気持ちで文章を書いている。
情報収集の精度が上がり、また、幅広い情報に触れるにつれて、世の中のことを考えることが多くなった。
そしてそれらは決して自分とは違う世界に住む偉い人たちの問題ではなく、自身が苦しんできたことや向き合ってこなければならなかったことに結果として繋がっているとわかった。
自分は、一つの媒体を通して誰かの生活にするりと忍び込むことが出来る。
私の言葉選び一つで誰かを楽しませることも、悲しませることも出来る。
とても怖い仕事である。
だからこそ、多くの人にとって、社会にとって「良いこと」を提示する努力をしていきたい。
この先の化粧文化は女性だけのものではない。
男性も自由にメイクするのが当たり前になって欲しいし、反対に、「メイクをしない自由」が当たり前に認められる時代になって欲しい。
それをつくるのが日々の自分の仕事なのである。
何かの良い所を挙げるために、他の何かを下げることはしたくない。(そういった点で今いる会社のスタンスは自分にフィットしていると思う)
各々のカワイイがそれぞれサイコー、良いものに対価を払ってみんなハッピー。夢物語みたいだが、不特定多数の人にイメージを伝える者として、これを諦めるわけにはいかないのだ。
誰かの地獄をちょっとでも救える何かを日々模索し、誰かの人生のヒントになるものを作ることが出来ればとても良い。
変わったこと⑤自分についての理解が変わった
この4年で社会に対する理解も深まったが、それと同じくらい自分自身の理解も深まったように感じる。
前述したように、キュレーションメディアで働き始めた時は「女性のためになる何か」くらいにしか、やりたいことがわかっていなかった。
そして、自分に何ができるのかは全く理解できていなかった。
じゃあ今はどれくらい自分のことをわかっているのかという話だが、やりたいことは④で書いたとおりである。
メディアの中の人間として、より多くの人が自由に楽しく生きるための情報伝達をしていきたい。
自分はあくまでも情報の仲介者であると、ここ数年ひしひしと感じている。
私自身は斬新なアイディアとか革新的なデザイン、新たな技術を生み出すことができない。
しかし誰かがこだわってつくったものの情報を噛み砕いて、消費者がわかりやすい形に再構築することはできる。
素晴らしいものをつくる人の意図を正確に、そしてつくった人が気がついていない魅力を見つけ、より多くの消費者に伝える。
その活動を通して消費の正の循環を回せば、資本主義社会においては世界平和に少しずつ近づいていけると考えている。
また、自分はフリーではなく、編集部の中に籍を置く人間でもあり続けたいとわりと最近気がついた。
仕事をしていく中で喜びを感じる瞬間は?と聞かれたとき、最も優先して頭に浮かぶのはチームの中でファインプレーを褒められた時である。
メーカーさんや読者から直接感謝のお言葉を頂ける場面がこれまでは少なかったというのもあるが、やはり自分は個人ではなくチームでひとつのものをつくっていきたい。
だからこれからも場所は変わっても集団の中に身を置くのだろうなと予感している。
それから、自分は物事を「分析と総合」することが得意なのだろうとなんとなくわかってきた。
新しいものを一から生み出すのは苦手だが、世の中の流れや「一から生み出す」立場の人たちが提示するものを理解し、こういうことだよね!と言語化することはできる。
これは元々自分にあった能力かもしれないが、それを得意かもしれないと思えるレベルにまで引き上げてくれたのはこの4年間だったと思う。月並みな表現ではあるが、やはり継続は力なり。
これが得意であるからこそ、誰か一人に師事するというよりは、できるだけ多くの人の考えを聞いて必要なこと・大切なことは何であるかを考えていくスタイルの方が自分は成長できそうだとも思っている。
昨年末、友人に尊敬する人は?と聞かれて上手く出てこなかったのも、このことが理由ではないかと今なら思える。
自身の仕事のレベルを引っ張り上げてくれたのは今の会社の方々であることは間違いない一方で、前の会社で出会った方々は今も尊敬しているし、今の自分の仕事に生きている教えを沢山頂いた。
世の中に何かインパクトを与えられる人たちは、根底に同じものを持っているような気がしている。
今はまだ上手く言語化できないが、これから多くの人たちに出会って多くの考えに触れ、それが何なのかいつかきっと自分なりの答えを出したい。
終わりに
ここまで長々と今までの振り返りをしてきたが、最後に言及しておきたいのは自分は文章を書くことでひとを救いたいと思っている一方で、自身も救いたいと思っている事である。
ただの自分語りになってしまうが、幼い頃からとかく考え事をする子供であった。
気がつけば頭の中で思考が巡る。テーマはその時によって様々であるが、ポッと頭に出てきたことがどんどん発展していき、それは可視化しないと消化できないものであった。
そんな私を救ってくれたのは考えを言葉にすることが許されている環境だった。
言葉を扱うことを仕事にすれば、常に頭を埋め尽くす言葉をどんどん消化することが出来る。
少なくとも、就業時間内は仕事のことだけが頭に巡り、逐一言語化できる。
考えを文章として成り立たせることが得意になってきたので、通勤中などに考えごとで頭が破裂しそうになったとき、今じゃスマホにざっとメモして消化することが出来る。
自分がなぜこんなに苦しいのか、ずっとずっと考えてきた。
その答えは日本のカワイイ文化の下、カワイイを文章で提示し続ける中で見つかるという確信がある。
己を地獄から救うのは、自身の妥協しない思考と鍛えぬいた言語能力であるのだ。