新しいファンデーションを買ったので、しばらく使っていないファンデーションを処分した。韓国ブランドの、ハイカバーなリキッドファンデーション。気づけば1年くらい手に取っておらず、いつの間にかメイクボックスの奥の方に追いやられていた。買った当時は毎日これしか使っていなかったのに。
新卒の頃、とにかくニキビ(というか吹き出物)に悩まされていた。社会人になるまで肌荒れなんてほとんど経験したことがなく、あっても乾燥くらい。思春期の頃さえニキビがほとんど出来ず、親が兄にニキビ用の洗顔を買い与えているのを横目に「大変そうだな」と思っているほど肌がめちゃくちゃに強かった。
それなのに、突然口周りと頬にニキビが出来るようになり、1つ消えてはまた1つでき、を繰り返していた。ニキビそのものは治ってもニキビ痕が赤黒く残り、それが非常にコンプレックスになった。写真でも分かるくらい肌が荒れていたので、友達と写真を撮る時は自分のスマホを渡し、肌のアラを1個1個アプリで消してからデータを送るようなことまでしていたくらいだ。
これだけ書くと仕事のストレスが肌荒れの原因かと思うが、新卒の頃も仕事はとても楽しかったと思う。というか、4年目の今も仕事そのものが嫌だ、今の仕事を辞めたいと思ったことは無い。メディアをつくる人になりたいと思って大学生の頃からインターンをし、就活にやや悩みながらも、以前から知っていたWebメディアの、しかも大好きな化粧品に関わる部署に入った。大学4年の夏にバイトとして入り、卒業後もそのまま入社した。だから、社会人になったとて、今まで週2~週3で通っていたところに週5で行くようになったくらいの変化しかなかった。今はもうクローズしてしまったけど、立ち上げ時から携わって、自分たちの好きなものに毎日触れられるのは本当に幸せなことだったなと今でも思う。最後の青春だった。
じゃあ何がストレスだったのかって、ありきたりだけど人間関係や職場の空気だったんだと思う。先輩同士の関係に気を使い、誰か一人でも機嫌が悪くなると率先してご機嫌をとるような立ち位置だった。今思えば放っておけば良いのに、という感じだが。いわゆる新卒っぽい入社の仕方ではなかったので、同い年の子も立場上は後輩として、自分は先輩として扱われていたし、アルバイトの子もいた。自分は目立つミスをするタイプではなかったが、後輩に目をつけられやすい子がいて、その子が注意を受ける度に「言われないだけで、自分もこう思われていたらどうしよう」と不安になり、寝る前には「あの時の対応は間違っていなかっただろうか、どんな風に思われただろうか」と反省会をしていた。
週末に友達と飲みに行ってストレス発散をしようにも、大学の友達はそれぞれの会社の同期と遊びに行っていて、何となく自分から誘えなかった。ここでも今思えば「普通に誘えばそれなりに相手してくれるでしょ……」と冷静になれるけど、当時は変に気を使ってしまっていた。付き合っている人はいたが、時間さえあれば毎日のようにビデオ通話を求められ、「お風呂に入るから切って良い?」と聞いても「えっ、そのまま繋いでて良いよ」と返されるので途中から一人の時間を諦め、夏には別れた。
夏頃には友達も同期と飲みに行くことが減ってたまに遊んでくれるようになったが、自分を含め少しずつ忙しくなってきて、お互い励まし合う日々が始まった。職場の空気は変わらずだった。先輩たちはほとんどがホルモンバランスを崩していて、生理不順の話がよく飛び交っていた。私も繁忙期は2カ月ほど生理が来なかった。その頃にはもう、顎周りが赤黒いニキビ痕だらけだった。
そんな時に、冒頭のリキッドファンデーションを買った(ようやく再登場した、良かった)。それまではMiMCのミネラルリキッドリーとか、薄膜ツヤ仕上げのファンデーションが好きで、ハイカバーなファンデーションは撮影で使うくらいだった。まさか自分で買う機会がくるなんて思いもしなかったので、購入時はどれにするか結構長い時間をかけて悩んだように思う。コンプレックスをカバーする物を買う時、人はめちゃくちゃ真剣になる。
赤みを隠すためにグリーンのポイントカバー下地を仕込んで、カバー力のあるリキッドファンデを伸ばして、それでも隠せないニキビ跡にはNARSのコンシーラーを重ねて、崩れないうえにトーンアップもできるエレガンスの粉を最後にはたいていた。これは今でも言えることだが、精神が不安定になるとなぜかメイクが全体的に濃くなる。なんでだろうね。アイメイクも、アイシャドウをゴリゴリ削るように重ねていたし、アイラインは目頭から目尻までがっつり引いていた。
元々容姿に執着があった、というのと、化粧品に関わる仕事をしているのもあって、「可愛くしていればつらくてもなんとかなる」と思っていた。忙しくて目の下のクマが濃くなっても、まぶたのラメが可愛ければそれで良かった。肌や健康状態から考えるに、それじゃ良くなかったのだが。
それまで使っていたスキンケアが良くないのだろうかと、スキンケアアイテムも色々変えた。正直、皮膚科行けば? そもそも婦人科行けば? という感じだが、なんせ時間と気力が無かった。あの頃使ってみて肌に合わず、少し放置してしまっていた美容液や化粧水は、肌状態が良くなったら合うようになった。あの頃はそれくらい肌が弱くなっていたんだろうと思う。
ここまで読んで想像がつくだろうが、肌の状態が良くなったきっかけは会社を辞めたことだった。ありがたいことに入社時に立てた目標も一通り達成でき、ここでやることはもう無いなと思って退職を決めた。特に頼りにしていた先輩も辞め、ブラック気味な働き方をしていた友達も無職になり、好きすぎて言いたいことがまったく言えなかった人には振られて丁度さっぱりしていた。有給が少ない会社だったが、当時は休むのが怖くてほとんど消化しておらず、夏休みと合わせて2週間以上の休みができた。
振り返れば、幼少期から習い事や部活、勉強、インターン、バイトが忙しくて、こんなに何もしなくて良い期間は初めてだった。新しく付き合った人と旅行をしたり、1週間以上実家に帰って祖母の炊事を手伝ったり、親戚の家の犬を触りに出かけたりして過ごした。実家に帰った日は母にニキビのことを心配されたが、東京に戻る頃には新しいニキビができなくなっていた。
新しい会社に入って前の会社よりも残業は増えたが、あの頃の閉塞感が無くなったからか、新しく肌荒れすることはなくなった。その時丁度流行っていた海外ブランドの美容液が肌に合ったというのもあり、ニキビ痕はどんどん薄くなっていった。それに伴って、自分の顔や肌で落ち込む機会も減っていった。ニキビに悩む以前も、Eラインが気にくわないとか、頬の肉が気になるとか、左右で二重の幅が違うとか、コンプレックスが多かったのに。
そうこうしている内にコロナ禍と呼ばれる状況になり、マスクをすることが増えた。マスクを着用する習慣が出来た当初はさすがに毛穴が大きくなったように思えたが、ニキビに悩んでいた頃と比べれば圧倒的に気楽だった。緊急事態宣言が発令されて2カ月ほどフルリモートになったので、メイクすることも激減した。その頃にはニキビ痕がほぼ気にならなくなり、緊急事態宣言が明けた頃には下地とスキンケアパウダーのみで会社に行けるようになった。
ニキビ痕が気になっていた頃は、そんな薄化粧で外を出歩くなんて考えられなかった。急遽他人の家に泊まることになった次の日は、家に帰るまでマスクをするか、極力下を向いてすれ違う人と目が合わないように早歩きしていた。それくらい、自分に自信が無い……というより、他人の目を気にしていた。でも、今思えばそんなこと周りの人はいちいち気にしていないんだよね。
ファンデーションを使わなくなって、軽いメイクでも他人の目が気にならなくなって……。しっかりメイクをするのはそれはそれで楽しいけれど、「どっちも楽しめる自分」「他人の目が気にならない自分」になれたことを嬉しく思う。ハイカバーファンデーションでつくりこむ肌もきれいだけど、次はそれ専用に新しいファンデーションを買いたい。悩んでいる時期真っ只中の自分だったら「それって結局、肌がきれいになったから言えるんでしょ」と思ってしまうだろうが、それでもあの休み期間はニキビ痕だらけでも日々が楽しかったのだ。
今後ももしかしたらシミやシワが出来て戸惑ったり、落ち込んだりするかもしれないし、あの時以上につらく思うかもしれないけど、少なくとも今はあの頃より楽しい人になれたように思う。可愛い・きれいがすべてじゃない。言い訳ではなく、とても前向きな気持ちでこう思っている。これからもそう思える自分でありたいし、もし同じような悩みを抱える人に相談されたら、この話をしたいな。そんな気持ちで書きました。